人生再校!

人生、初校・再校はあたりまえ。
デザイナー・フルタがお届けする
愛と希望の業界日記blog版。
嗚呼 人生再校!
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はじまりの年



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山梨







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デモンストレーション
今日は震災以来、

自分の中で何かが崩れ、何かが始まった日だった。

いろんな立場の人がいるけれど、今日はとりあえず全ての人に

お疲れ様、よくがんばったと言いたい。

そして明日から、また。

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本日のお客様


本日のお客様は、

『ことのは山房』こと芦原陽子さん

文筆業や朗読などをされています。

http://kotonohasanbou.blogspot.com/

http://twitter.com/#!/kotonohasanbou
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あけおめ
遅まきながら、あけましておめでとうございます。

思えば昨年は、いろいろとリセットして充電する一年でした。

そして今年(向こう3年)は一気に放電(漏電ではありません)する年にいたします。

みなさまよろしくお付き合いのほどを。

みなさまも今年1年スバラシイ年を過ごされますようお祈り申し上げます。


フルタ
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感謝
今年、全てに感謝します。

新たに出会ったひと

別れたひと

導いてくれたひと

泣いてくれたひと

笑ってくれたひと

彼岸のひと

此岸のひと


今年一年僕がここに在るのは貴方達のおかげです。

全ての人、モノ、事に感謝します。


そして来年、僕があなたにとってその一部になれるよう願います。

あなたがあなた自身の光で満たされるよう願います。


フルタヨウスケ
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改札口
僕は改札口で人を見送るのが好きだ。と同時に嫌いでもある。

彼女(彼)と一緒に一日を過ごし、夜になり、駅までの道を歩く。

そして彼女(彼)は改札を通り遠くに消えてゆく。

その時に振り返って手をふってくれる人もいる。

そのまま振り向かず歩いて行く人もいる。

なぜかその改札を挟んで交わされる(もしくは交わされる事のない一方的な)

空気が、僕をいつも複雑な感情にさせる。

今日、彼女(彼)は僕と共有した時間をどう思っただろうか。

もしかしたら、このままもう会えなくなるのではないか。

だとしたら、後悔のないように接することができたんだろうか。

そんな事を思う。

彼岸と此岸。

そして彼女(彼)の姿を最後まで見届け、暗い夜道をひとりでトボトボと家に帰る。

その途中で僕は、今まで関わってきた人の背中を思い出す。

仕事先の人、よく行くカフェの店員、遠く離れてしまった友人、実家で暮らす祖父や母親。

もう会う事のない父親。

そしてちょっとだけ、明日一日をなるべく後悔のないように生きてみよう、と思うのだ。



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輝く「あたりまえのことば」ーーなにかいいこと
とても当たり前の事ーー

この本を読んだ時そう思った。


「なにかいいこと 自分をほどく知恵のことば」服部みれい著


本の中には、自分を変えるための短いことばが

一頁に数行づつ綴られている。

深い格言の様なものは一つもない。


「やりたいこをやろう」「結果を求めない」…

社会的な事や、精神的な事。

どれも当たりあたりまえことば。

どれも簡単すぎて、本一冊すぐにでも読めてしまいそうだ。


だが、読めば読むほど、その「あたりまえ」の事が

自分に出来ていないか、気付いているつもりになっていたかが判る。

いかに自分自身が知らないうちに、自らの可能性を

押しとどめているのかが、あらためて認識させられる。


それに気づいた時、この「当たり前」と思っていた事が

自分の中で大切なものとして輝きはじめる。

今まで見ていた目の前の景色が

より鮮やかさをもって立ち上がってくる。

生きている、自分自身がここに在るということは

本当に素晴らしい事なのだといわんばかりに。


そして、この本「なにかいいこと」の中に綴られている

「あたりまえのことば」たちに、ボクはそっと背中を押されるのだ。


「あなた」は、「あなた」のままでよいのだと。

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引っ越しました。
みなさんこんにちは。

twitterばかりやっていて、ぜんぜんblogを更新できていません。

スミマセン。

改めまして、ANPは水道橋から鎌倉へ引っ越しました。

引っ越し後の後処理の方もだいたい終わり、

これから本格始動です。

鎌倉にお寄りの際は、是非お立ち寄り下さい。


東京にいたときよりも更にがんばってゆくので、

おまいら、振り落とされんなYo〜



築50年ANP House
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恋愛・結婚
ボクは結婚する気が(今のところ)ぜんぜんありません。

ボクは恋愛にはあんまり興味がありません。

というと、だいたい返ってくる答えは

「それは、本当に好きな人に出会ってないんだよ」

「そのうちわかるよ。」「いつかそういう人があらわれるよ」

と言う答え。

びっくりなんだけど、ほんとうに版を押したようにみんな同じ返答。

そんな答えに、どうも違和感を覚えてしまいます。

こういう返答になる根拠って、たぶん

本当の愛=離したくない→結婚したくなる 

人は必ず愛すべき女性(男性)にめぐりあうはず

隣にパートナー(妻・夫・恋人)がいることが幸せ

と、こんな感じ。

確かに、恋人がいたらたのしいけど、

いない<いる方が幸せ と直結させるのはどうなんだろう。

やっぱり人にとって幸せっていう価値観は違うわけで。

中にはいないことで幸せになれる人だっているかもしれない。

中には恋人よりも、友人や、親友、家族(広い意味で 次回触れます)

がいる事の方が幸せだと感じる人もいるかも知れない。

ボクは、恋人がいて幸せ、結婚して幸せ論には全然反対していません。

むしろそうする事でその人が幸せになるならば、それは素晴らしい事だし本当にヨイ事だと思う。

でも多くの人は、そのことが絶対という立場から発言するので

ボクは違和感を覚えるのです。

恋愛洗脳。

なぜそういう(いない)人は不幸、カワイソウ、みたいな論調になっちゃうんだろう。

なぜそういう(いない)という生き方を普通に認めることが出来ないのだろう。

ボクが結婚・恋愛幸せ論に対して、いいねと素直に言えるように。




ボクは結婚もする気がないし、彼女(広義の)もあまり欲しいと思いませんが、

家族(とよべるもの)は欲しいと思っています。


その家族については、また今度書きます。
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